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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)10344号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

桐畑芳則

後藤秀継

被告 医療法人社団丙

右代表者理事長

丙山太郎

被告

乙川五郎

右両名訴訟代理人弁護士

石井通洋

夏住要一郎

間石成人

主文

一  被告らは、原告に対し、各自、金二〇九三万七九九五円及びこれに対する平成五年一一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して二六〇五万六五〇〇円及びこれに対する平成五年一一月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、甲野一郎(大正一〇年八月三日生まれの男子。以下「甲野」という。)の配偶者である。

(二)  被告医療法人社団丙は、肩書地において東大阪病院(以下「被告病院」という。)を開設している医療法人であり、被告乙川五郎(以下「被告医師」という。)は、同病院内科の医師である。

2(一)(1) 甲野は、肺気腫の持病があったため、かかりつけの中井健二医師(以下「中井医師」という。)の紹介により、被告病院に通院し、昭和六一年七月一日から同年八月一一日まで及び昭和六二年一月五日から同年四月一八日までの間、同病院に入院した。

(2) 甲野は、昭和六二年七月二七日付けの被告病院内科の阿川医師の紹介により、大阪府立成人病センターで受診し、左肺偏平上皮ガンとの診断を受け、同年九月には、同センター胸部外科において、左上葉肺切除手術を受けた。甲野は、右手術後、慢性呼吸機能障害の状態にあった。

(3) 甲野は、昭和六二年一二月三日、呼吸困難を主訴として、肺ガン術後及び肺気腫との病名で、被告病院に入院し、阿川医師を主治医として治療を受けたが、昭和六三年五月一四日(以下、年については特記しない限り、昭和六三年である。)、退院した。

四月一六日の甲野の体重は45.5キログラムであった。

(4) 甲野は、退院後も被告病院で継続的に診療を受けていたが、六月三日、前日から、風邪をこじらせて呼吸困難が生じたとして通院し、被告医師の診察を受け、肺炎のおそれがあるとして、被告医師から入院を指示され、被告病院に再度入院し、被告医師を主治医として、治療を受けた。

(二)(1)  甲野は、入院後の六月四日及び五日、腹痛、胃腸の膨満感、吐き気及び微熱が続き、食欲がほとんどなく、主治医である被告医師や看護婦にその旨訴え続けた。

被告医師は、同月六日、甲野の胃エックス線検査をし、原告に対し、右検査の結果には特に問題はなかったと説明した。

(2) 甲野の腹痛は、その後も続き、同月二〇日に行われた採血により、翌二一日には、白血球が多くなっていることが判明した。同日の甲野の体重は41.5キログラムであった。

(3) この入院中、甲野の吐き気及び嘔吐はおさまらず、同人が病院食を半分以上食べたことはなかった(原告が代わりに食べており、甲野は、看護婦に対しては、実際よりも多い量を摂食した旨答えていた。)。

原告は、被告医師に、甲野の症状がおさまらない理由を聞いたが、明確な回答はなかった。

被告医師は、甲野に対し、他に胃の検査をしないまま、七月一日には、自信がついたらいつでも退院しても良いという指示を出した。

(4) 甲野は、七月四日及び同月一二日にも、嘔吐した。

甲野は、退院する気力も転院する自信もなかったが、被告病院の冷房の効き過ぎによる神経痛に苦しんでいたことから、同月一五日、被告医師に対し、退院を申し出た。

同月一八日の甲野の体重は、40.1キログラムであった。

(5) 被告医師は、甲野に対し、同月一九日に退院するように指示し、甲野は、同日、同病院を退院した。

(三)(1)  甲野は、退院後の七月二〇日、少量の血痰を見たとして、被告医師の診察を受けた。

(2) 甲野は、同月二二日にも、腰痛を訴えて被告医師の診察を受け、被告医師は、甲野に対し、腰椎及び骨盤のレントゲン検査を行い、整形外科受診を指示した。

(3) 甲野は、同月二三日、被告病院整形外科で鎮痛剤局注及び理学療法を受けるとともに、非ステロイド系消炎鎮痛剤(NSAID)であるロキソニン内服薬(一日三錠、七日分)の投与を受けた。

(4) 甲野は、同月二五日から二八日までの間毎日、被告病院整形外科で理学療法を受けた。

(5) 甲野は、同月二九日、中井医師の四日くらい前から血尿が続いているとの同日付け紹介状を持参し、被告医師の診察を受けた。被告医師は、出血性膀胱炎と判断し、NSAIDであるインダシン坐薬(一日二回、七日分)及び抗菌剤フルマークを投与し、セルベックス等の抗潰瘍剤も投与した。

甲野は、同日、整形外科でも、理学療法を受けた。

(6) 甲野は、同月三〇日も、被告病院整形外科で理学療法を、被告病院内科で北野医師の診察を受けた。

甲野が吐物中にうすいコーヒー色の吐血を認めたと訴えたので、同医師は、嘔気止め剤の筋肉注射及び胃炎・胃潰瘍治療剤であるガスター一アンプルを静脈注射し、翌日も受診するように指示した。

(四)(1)  甲野は、同月三一日、被告病院内科の瀬谷医師の診察を受けた。同医師は、甲野に呼吸困難の症状が見られたため、入院を指示し、入院後直ちに酸素投与を開始した。入院後は、被告医師が主治医として甲野の診療にあたった。同日、甲野に対し、インダシン坐薬及びインダシン五〇ミリグラム二本が投与ないし使用されるとともに、胸部レントゲン検査が行われた。

同日の甲野の体重は、四〇キログラムであった。

(2) 甲野は、八月一日にも、インダシン坐薬二個を投与された。

(3) 甲野は、八月二日午後三時ころから、胃が痛み出し、痛みは次第に下腹部まで広がって、同日午後六時ころには、激しい痛みに襲われた。

被告医師は、同日午後四時四〇分、ブスコパン一アンプルを筋肉注射し、さらに、同日午後五時五〇分、ペンタジン一アンプルを筋肉注射したが、左肋骨下端の痛みは止まらなかった。しかし、被告医師は、インダシン坐薬二個を投与した他は、それ以上の処置をとらなかった。

(五)(1)  翌三日午前七時三〇分ころ、ナースコールがあり、看護婦は、甲野の血圧が約六〇水銀柱ミリメートルに低下していたため、医師の診断を求めた。消化器内科専門医である阿川医師は、甲野を診察し、腹部レントゲン検査を指示した。同医師は、その結果を見て、腸閉塞の疑いがあると判断し、外科の芦田賢治医師(以下「芦田医師」という。)に相談した。同医師は、坐位による腹部レントゲン検査を指示し、その結果にフリーエアを認めたため、腸穿孔の可能性があると判断し、原告に対し、甲野の腸の右の部分か左の部分かのどちらかが破れている可能性がある旨伝えた上、手術しないと確実に死亡するが、手術の結果肺がもたなくて死亡する危険性もかなり高いと説明した。

(2) 被告医師も、甲野の腸に異常があるので手術が必要だと判断し、芦田医師を執刀医として、同日午後三時、甲野に対し、緊急開腹手術が行われた。そして、甲野が胃穿孔による腹膜炎を起こしていることが判明したため、芦田医師は、右胃穿孔部を切除して縫合閉鎖し、腹腔内にドレーンを留置した。

(3) 手術終了直後、原告は、芦田医師から、甲野には、三、四日前から胃穿孔が生じており、これにより腹膜炎を起こしていた旨の説明を受けた。

(六)  以後、芦田医師が、甲野の主治医としてその診療にあたり、八月一一日には、甲野は、食事の経口摂取を再開できるまでに至ったが、その後容体が悪化し、八月一五日には白血球数が異常に増え、同月一六日には呼吸不全著明となったため、ICUにおいて、人工呼吸器を装着するに至り、その後も呼吸不全が継続、悪化し、同月二〇日には、死亡した。

直接の死因は、心不全、呼吸不全であった。

3(一)(1) 甲野には、吐き気・嘔吐等の胃部症状がかなりの頻度で発生していたし、体重が減少していることからしても、食欲の減退は明らかであった。また、被告医師は、甲野に肺気腫疾患があり、肺ガンのため左上葉肺切除手術を受けていたことを知っていた。

高齢者においては、無症状または不定愁訴の胃潰瘍が多く、慢性の閉塞性肺疾患患者は低酸素血症や高二酸化炭素血症によって胃粘膜血流が低下するために、胃潰瘍を併発しやすいことは、医学上の常識であり、被告医師は、六月六日から七月三〇日までの間に、胃内視鏡検査、少なくとも胃エックス線検査をすべきであったのに、これを怠った。

(2) また、被告医師は、遅くとも、吐血の翌日である七月三一日までに、慢性化した胃潰瘍ないし出血性びらんを疑い、甲野の胃内視鏡検査をすべきであったのに、これを怠った。

(3) さらに、NSAIDが、極めて強い潰瘍発生作用をもっている薬剤であり、胃粘膜関門の防禦機構を攻撃的に作用して破壊し、既に存在する胃潰瘍を増悪させるものであることは、医学上の常識であるのに、被告医師は、吐血を主訴として七月三〇日に受診した甲野に対し、漫然とNSAIDを投与し続けた。

(二) 被告医師は、右のように、胃潰瘍の症状を容易に発見し得たにもかかわらず、これを看過して、適切な検査をせず、さらに、漫然と、NSAIDや鎮痛剤を使用してこれを増悪させた上、甲野の胃前壁部位に穿孔が生じ、汎発性腹膜炎が発症しているのにもかかわらず、これを看過した。

その結果、甲野は、八月三日、緊急開腹手術を受けねばならなくなり、この手術侵襲によって、肺気腫及び肺ガン手術の後遺症のために低肺機能状態にあった肺機能がさらに悪化することとなって、呼吸器不全に陥り、それに伴う低酸素血症によって心臓機能が低下し、死亡するに至った。

(三) したがって、被告病院は、準委任契約としての診療契約違反及び被告医師の使用者としての使用者責任に基づき、被告医師は、不法行為に基づき、連帯して甲野及び原告の損害を賠償する責任がある。

4  甲野及び原告が被った損害は、次のとおりである。

(一) 甲野に生じた損害

(1) 逸失利益 六〇五万六五〇〇円

甲野は、六七歳で死亡したが、その当時、次のとおりの基礎収入があったから、本件過誤によって死亡しなければ、基礎収入年額一六八万五三九七円を得ることが可能であった。右基礎収入から、その三〇パーセントを生活費として控除して、就労可能年数六年について、甲野の得べかりし利益の現価を新ホフマン式により計算すると、六〇五万六五〇〇円になる。

① 基礎収入 一六八万五三九七円

ア 厚生年金

甲野は、死亡時、年額二三一万九七五七円の厚生年金の給付を受けていた。右年金額から原告が支給を受けている遺族厚生年金(年額一五五万八三〇〇円)を控除した残金七六万一四五七円が甲野の厚生年金収入となる。

イ 企業年金

甲野は、死亡時、年額九二万三九四〇円の企業年金保険の給付を受けていた。

② 計算

168万5397円(年収)×(1−0.3)(生活費控除)×5.1336(新ホフマン係数)≒605万6500円(一〇円未満切捨て)

(2) 慰謝料 一五〇〇万円

甲野は一家の支柱であったが、死亡時高齢(当時六七歳)であったこと等の事情を考慮して、甲野に対する死亡慰謝料としては、一五〇〇万円が相当である。

(二) 原告に生じた損害

(1) 慰謝料 三〇〇万田

甲野の配偶者である原告固有の慰謝料としては、三〇〇万円が相当である

(2) 弁護士費用 二〇〇万田

5  甲野は、昭和五〇年三月一〇日、全ての遺産を原告に遺贈する旨遺言し、昭和六三年八月二〇日死亡した。

6  よって、原告は、被告病院に対しては、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求権として、被告医師に対しては、不法行為に基づく損害賠償請求権として、連帯して前記損害合計二六〇五万六五〇〇円及びこれに対する債務不履行に基づく損害賠償請求権については訴状送達の日の翌日であり、不法行為に基づく損害賠償請求権については不法行為後である平成五年一一月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)及び(二)の事実は認める。

2(一)(1) 同2(一)(1)及び(2)の事実は認める。

(2) 同(3)のうち、甲野の入退院の事実は認める。

(3) 同(4)の事実は認める。

(二)(1) 同(二)(1)のうち、六月四日及び五日、吐き気及び微熱が続いていたこと、同月六日に胃エックス線検査をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右検査の所見は、慢性胃炎のみであった。

(2) 同(2)のうち、甲野が腹痛を起こしたことは否認する。

被告医師は、甲野の微熱が続いていたため、六月一七日まで、抗菌剤を静脈投与し、同月二四日からは、テトラサイクリン系抗生物質ビブラマイシンを経口投与したが、吐き気が強くなるなどしたため、同月二八日、右投与を中止した。

被告医師は、甲野がびらん性胃炎であると判断し、同月三〇日から、胃粘膜保護剤及び抗潰瘍剤等(セルベックス、ソロン、セレキノン、オルル細粒等)を投与し、七月四日からは、さらに抗潰瘍剤コランチルを投与した。

甲野は、七月六日ころからは平熱に近くなり、同月一五日には吐き気もなくなった。

(3) 同(3)のうち、甲野に吐き気が続いていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

甲野は、同月一日、吐き気がとれたら退院したいと希望したが、被告医師がこれを許可しなかった。

(4) 同(4)のうち、甲野が七月四日嘔吐したこと、同月一五日、退院を申し出たことは認めるが、同月一二日にも嘔吐したことは否認する。

甲野は退院の希望を述べたが、被告医師は、同月一八日に肺機能、呼吸抵抗検査が予定されており、その結果を見てから退院の可否を判断するため、退院を許可しなかった。

(5) 同(5)の事実は認める。

被告医師は、甲野の熱が下がり、吐き気もなくなり、呼吸困難症状も安定を見たので、退院を許可したものである。

その際、被告医師は、中井医師に対し、内科的な患者の管理・治療の継続を依頼した。

(三) 同(3)の事実は認める。

甲野は、肺気腫に肺ガンが再発し、両肺に転移するという強いストレス下で急性潰瘍を発症したものである。

(四)(1) 同(四)(1)のうち、甲野が被告病院内科で瀬谷医師の診察を受け入院したこと、酸素投与が開始され、被告医師が主治医として診療にあたったこと、同日、胸部レントゲン検査が行われたことは認める。

右検査により、明らかな肺ガンの再発が認められたため、被告医師はその旨原告に説明し、抗潰瘍剤の投与を続けた。

(2) 同(3)の事実のうち、甲野が八月二日午後四時四〇分に心窩部痛(左季筋部痛)を訴えたこと、被告医師が、ブスコパン及びペンタジン各一アンプルを筋肉注射したこと、インダシン坐薬二個を投与したことは認めるが、その余の事実は否認する。

甲野は、朝食三分の一、昼食五割を摂食したが、夕方から腹部痛を訴えた。腹部痛の訴えはこの時が初めてであった。同日午後七時三〇分には、心窩部痛は自制の範囲内になった。

(五)(1) 同(五)(1)のうち、ナースコールがあったこと、その際の血圧が約六〇水銀柱ミリメートルであったこと、消化器内科専門医である阿川医師の腹部レントゲン検査指示及び診断内容、同医師が芦田医師に相談したこと、同医師が坐位による腹部レントゲン検査を指示したこと、その結果フリーエアを認め、手術適応と判断し、原告にその旨説明したことは認めるが、その余の部分は否認する。

甲野は、同日午前七時ころには、心窩部圧痛なしとの所見であり、のどが渇いたとジュースを飲用した。これが刺激になり、同日午前七時三〇分ころ、胃穿孔が生じたものである。

また、芦田医師は、手術前に、既に、甲野が胃・十二指腸穿孔と診断していた。

(2) 同(2)のうち、午後三時ころから、芦田医師が緊急開腹手術を行い、開腹所見で胃穿孔、腹膜炎と診断したこと、右胃穿孔部を切除して縫合閉鎖し、腹腔内にドレーンを留置したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同(3)のうち、手術後芦田医師が原告に説明を行ったことは認めるが、三、四日前には胃穿孔が生じていたと説明したことは否認する。

(六) 同(六)の事実は認める。

3(一)(1) 同3(一)(1)のうち、甲野に胃部症状があったこと、体重減少及び食欲減退が認められたこと、被告医師が、甲野の肺気腫疾患及び肺ガンのため左上葉肺切除手術を受けたことを知っていたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

肺気腫に肺ガンが再発して両肺に転移播種する過程において、体重減少及び食欲減退がおきるのは当然であり、これをもって昭和六三年六月から胃潰瘍が生じていたと認めることはできない。

ストレス性胃潰瘍は急激に発症するのが通常の形態であり、徐々に胃潰瘍が進行して穿孔に至ったとする原告の主張は、医学的常識に反する。

(2) 同(2)の主張は争う。

この時点における甲野の訴えは、吐き気のみであって、胃エックス線検査後も症状にかわりはなかったし、強い呼吸器不全を伴う甲野に対し、苦痛と危険を伴う胃内視鏡検査を行うのは、適切ではなかった。

(3) 同(3)の主張は争う。

ロキソニンの能書には消化器潰瘍の可能性についての記載はあるが、長期の投与で潰瘍形成することはあっても、短期間の投与で潰瘍形成する可能性は少なく、胃穿孔の副作用の例はない。インテバン坐薬(一般名は、インダシンと同じくインドメタシン)の能書にも、消化性潰瘍の可能性についての記載があるが、胃潰瘍及び胃穿孔の副作用の例はない。

胃潰瘍の可能性があるとしても、入院後余命の少ない患者に対し、腰痛及び下肢痛改善目的で、呼吸抑制のないインダシン坐薬を投与することは、不適切ではない。

(二) 同(二)及び(三)の主張は争う。

甲野の手術後の経過は順調であったが、肺気腫による慢性呼吸器障害に、再発肺ガンが両肺に転移播種するという悪条件の下でストレス性胃潰瘍を発症、穿孔性腹膜炎を合併したものであり、腹部の経過は順調であったが、肺気腫及び肺ガンのため、呼吸不全が継続・悪化し、死亡に至ったものである。

被告医師は、原告に対し、同月一九日、既に、肺ガンの急激な進展について説明している。

4  同5のうち、甲野が昭和六三年八月二〇日死亡した事実は認める。

三  抗弁(不法行為に基づく損害賠償請求権について)

(一)  仮に、不法行為に基づく損害賠償請求が認められるとしても、原告は、甲野が死亡した昭和六三年八月二〇日には、損害及び加害者を知ったものであり、同日から三年が経過した。

(二)  被告らは、平成六年一一月二四日の第五回準備手続期日において、右消滅時効を援用した。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実(一)のうち、原告が昭和六三年八月二〇日甲野の死亡を知ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告が加害者を知ったのは、原告が証拠保全(大阪地方裁判所平成二年(モ)第四六五三号証拠保全申立事件)を申し立てた平成二年一〇月三〇日である。

五  再抗弁

原告は、平成五年一〇月二七日、本訴を提起した。

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1について

請求原因1(一)及び(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2及び3について

1  同2(一)(1)及び(2)の事実、同(3)のうち、甲野の入退院の事実、同(4)の事実、同(二)(1)のうち、吐き気及び微熱の継続及び胃エックス線検査の事実、同(3)のうち、吐き気の継続の事実、同(4)のうち、甲野の七月四日の嘔吐の事実及び同月一五日の退院申出の事実、同(5)の事実、同(三)の事実、同(四)(1)のうち、甲野の入院経過、被告医師が主治医になった事実、胸部レントゲン検査の事実、同(3)のうち、甲野が腹痛を訴えた事実、被告医師による筋肉注射及びインダシン坐薬投与の事実、(五)(1)のうち、ナースコールのあった事実、その際の血圧、阿川医師による腹部レントゲン検査指示、阿川医師の判断と芦田医師に対する相談、芦田医師の判断と処置及び原告に対する説明、同(2)のうち、芦田医師の緊急開腹手術の経過、同(3)のうち、芦田医師による説明の事実、同(六)の事実、同3(一)(1)のうち、甲野に胃部症状、体重減少及び食欲減退が認められた事実、被告医師が甲野が左上葉肺切除手術を受けたことを知っていた事実並びに同5のうち甲野の死亡の事実は当事者間に争いがない。

2  前記争いのない事実に、成立に争いのない乙一号証ないし四号証、弁護士会作成部分(受付印)の成立に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨により成立が認められる乙七号証、弁論の全趣旨により成立が認められる甲一四号証の一ないし六、一五号証、レントゲン写真であることに争いのない検乙一ないし一五号証、被告本人尋問の結果、鑑定人磨伊正義の鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一)(1)  甲野は、大正一〇年八月三日生まれの男子であったが、肺気腫の既往症があり、かかりつけの中井医師の紹介により、被告病院に通院し、昭和六一年七月一日から同年八月一一日まで及び昭和六二年一月五日から同年四月一八日までの間、同病院に十二指腸ポリープ及び結核により入院した。

(2) 甲野は、昭和六二年七月二七日付けの被告病院内科阿川医師の紹介により、大阪府立成人病センターで受診し、左肺偏平上皮ガンとの診断を受け、同年九月には、同センター胸部外科において、左上葉肺切除手術を受け、その後、慢性呼吸機能障害の状態にあった。

(3) 甲野は、昭和六二年一二月三日、呼吸困難を主訴と、肺ガン術後、肺気腫及び椎骨脳底動脈循環不全により被告病院に入院し、阿川医師を主治医として呼吸器のコントロールを受けていたが、昭和六三年五月一四日、症状が安定し退院した。

四月一六日の甲野の体重は45.5キログラムであった。また、甲野は、一月一九日ころ、食欲不振、吐き気、上腹部痛を訴えたが、二月一七日ころには、軽快した。

甲野は、四月一日にも、食欲不振を訴えたが、吐き気はなく、翌二日には、軽快した。

(4) 甲野は、退院後も被告病院で継続的に診療を受けていたが、風邪をひき、六月三日、呼吸困難を生じたとして、呼吸器系専門医である被告医師の診察を受けた。

甲野は、被告医師から肺気腫、喘息との病名で入院を指示され、被告病院に再度入院し、被告医師を主治医として、治療を受けることになった。

なお、右入院の際の診療録には、甲野の既往症として「左上葉肺切除、十二指腸ポリープ」と記載されている。

(二)(1)  甲野は、入院後の六月四日及び五日、吐き気及び微熱が続いたため、同月六日、被告医師の指示により、胃エックス線検査が行われた。阿川医師は、その結果、食道は異常なく、慢性胃炎、十二指腸ポリープの所見ははっきりしないと判定した。

被告医師は、慢性胃炎は非常に多い病気なので、これがあっても異常な所見ではないと判断し、原告に対し、「特に問題はない。」と説明した。

翌七日には、腹満はなかった。

(2) その後も、甲野は、微熱が続き、睡眠障害の持続を訴えていたので、被告医師は、甲野に対し、同月一七日まで抗菌剤を静脈注射した。

同日には、軟便が見られたが、ロペミンが投与され、翌一八日午前一〇時にはおさまり、腹痛も、同日午後七時にはおさまった。

同月二〇日、採血が行われ、白血球が多くなっていることが翌二一日判明した。甲野の同日の体重は、41.5キログラムであった。

甲野は、同月二四日から、テトラサイクリン系抗生物質ビブラマイシンの投与を受けたが、同月二六日には胃もたれ及び吐き気を、同月二八日にも食欲低下を訴えたため、被告医師は、右症状をビブラマイシンの副作用と判断し、その投与を中止した。

甲野は、翌二九日、三〇日にも吐き気を訴えたため、被告医師は、びらん性胃炎であると判断し、同日から、胃粘膜保護剤及び抗生潰瘍剤等(セルベックス、ソロン、セレキノン、オルル細粒等)を投与した。

甲野は、七月一日にも吐き気を訴え、吐き気がとれたら退院したいと希望した。

同月四日には、吐き気と嘔吐があったので、被告医師は、甲野に対し、抗潰瘍剤コランチルを投与し、胸部レントゲン検査がなされた。

吐き気は、同月五日午後二時以降は徐々に軽減したが、同月一一日午前一〇時以降はまた強くなり、同月一三日以降は軽減し、同月一五日には消失した。

同月一四日に行われた検査では、便の潜血はマイナスであった。しかし、その後も食欲不振は続いていた。

甲野は、被告医師らに対し、睡眠不足、食欲低下及び吐き気を訴え、その原因は点滴及び薬剤の副作用であると主張した。被告医師は、ビブラマイシンを飲んだ四日目に吐き気の訴えがあったことから、同月六日の時点では、薬剤の投与により、吐き気が生じ、点滴により食欲がなくなったものと判断していた。

甲野は、その間の六月一八日ないし二一日、二四日には、呼吸を楽にするために、腹式呼吸をしたり、腹部に砂嚢を乗せて喘息体操をするなどしていた。

(3) 甲野は、神経痛に苦しんでおり、その原因を冷房の効き過ぎだと考えていたことから、七月一五日、被告医師に対し、その旨告げて、退院を申し出た。被告医師は、同月一八日に予定されている肺機能呼吸抵抗検査の結果を見てから退院許可を出すことにした。

右検査で症状の軽快が見られ、吐き気もおさまり、便の潜血もマイナスとなったため、被告医師は、同月一九日、甲野の退院を許可した。

なお、同月一八日の甲野の体重は、40.1キログラムであった。

右退院の際、被告医師は、中井医師宛の診療情報提供書を作成し、甲野がビブラマイシンの内服薬で胃を壊したこと、白血球が常時高値であり、軽い炎症があると認められること、微熱が続いていることを申し送った。

(三)(1)  甲野は、退院後の七月二〇日、少量の血痰があり、吐き気も持続しているとして、被告医師の診察を受けた。

(2) 甲野は、同月二二日、腰痛及び膝蓋の感覚の異常を訴えて被告病院に通院し、被告医師は、腰椎及び骨盤のレントゲン検査を行い、整形外科受診を指示した。

(3) 甲野は、同月二三日、被告病院整形外科で受診し、鎮痛剤ビタカイン局注、温湿布モムホット、理学療法を受け、非ステロイド系消炎鎮痛剤(NSAID)であるロキソニン内服薬(一日三錠、七日分)を投与された。

被告医師は、その当時、ロキソニン内服薬が、消化器に対して攻撃的に作用し、稀に消化器潰瘍を起こす可能性のあることを認識していた。

(4) 甲野は、その後、同月二五日から二八日までの間、毎日被告病院整形外科に通院し、ビタカイン局注、理学療法、ジセタミン、ユベラ等の投与を受けた。

(5) 甲野は、同月二九日、中井医師の四日くらい前から血尿が続いているとの同日付け紹介状を持参し、被告医師の診療を受けた。被告医師は、甲野が出血性膀胱炎に罹患していると判断し、抗菌剤フルマークを投与するとともに、腰痛に対して、インダシン坐薬(一日二回、七日分)を投与し、加えてセルベックス等の抗潰瘍剤を投与し、肺気腫対策のための点滴をした。

甲野は、同日、整形外科においても、理学療法を受けた。

(6) 甲野は、同月三〇日も、被告病院整形外科で理学療法を受け、被告病院内科で北野医師(消化器専門)の診察を受けた。甲野は、吐物中にうすいコーヒー色の吐血を認めたと訴えたので、同医師は、嘔気止め剤プリンペランの筋肉注射及び胃炎・胃潰瘍治療剤ガスター一アンプルを静脈注射し、翌日も受診するように指示した。

(四)(1)  甲野は、同月三一日午前〇時三〇分、呼吸不全、吐き気、腰と左足の痛み等を訴えて被告病院内科の瀬谷医師の診察を受けた。同医師は、甲野に呼吸困難の症状が見られたため、胸部レントゲン検査を指示した上、入院を指示し、入院後直ちに酸素投与を開始し、インダシン坐薬五〇ミリグラム二本を使用した。

入院後は、被告医師が主治医として甲野の診療にあたった。

同日の甲野の体重は、四〇キログラムであった。

(2) 八月一日には、甲野が嘔吐したため、胃薬、吐き気止めの投薬が開始され、インダシン坐薬二個も投与された。

(3) 甲野は、入院後、吐き気及び食欲不振等を訴えていたが、八月二日午前一〇時ころ、嘔吐し、その後も吐き気を訴えていた。同日午後三時ころからは、自制不可能な心窩部痛を訴え、同部分に圧痛が見られた。

被告医師は、同日午後四時四〇分、ブスコパン一アンプルを筋肉注射し、さらに、同日午後五時五〇分、ペンタジン一アンプルを筋肉注射した。また、インダシン坐薬二個を投与した。甲野の痛みは、同日午後七時三〇分には軽減し、自制の範囲内となった。

(五)(1)  甲野は、翌三日午前七時ころ、のどが渇いたとして、ジュースを飲んだ。同日午前七時三〇分ころ、ナースコールがあり、血圧の低下(約六〇水銀柱ミリメートル)が見られ、嘔吐があったため、同日午前八時五〇分には、消化器内科専門医である阿川医師が回診し、腸閉塞を疑い、腹部レントゲン検査を指示した。

甲野は、左下腹部の痛み及び吐き気を訴え、同部分に圧痛が見られ、嘔吐もあった。阿川医師は、レントゲン写真を見た上、腸閉塞の疑いがあると判断し、外科の芦田医師に相談した。同医師は、坐位による腹部レントゲン検査を指示し、その結果にフリーエアを認めたため、腸閉塞により腸に穿孔が生じている可能性があると判断し、手術が必要だと判断した。

芦田医師は、原告に対し、その旨伝えた上、手術しないと確実に死亡するが、手術の結果肺がもたなくて死亡する危険性もかなり高いとの説明をした。原告は、手術を希望したため、同日、緊急開腹手術が行われることとなった。

なお、甲野の腹痛は、同日午前一〇時には、自制の範囲内になったが、腹壁の緊満が見られた。

被告医師は、そのころ、右状況を聞き、甲野の紹介医である中井医師にその旨連絡した。

(2) 芦田医師を執刀医として、同日午後三時ころから、甲野に対し、緊急開腹手術が行われた。その際、甲野の胃体部前壁墳門側に直径約五ミリメートルの穿孔が認められ、腹腔内に食物残渣及び腹水があり、腹膜炎が生じていることが判明した。芦田医師は、右胃穿孔部を切除して縫合閉鎖し、腹腔内にドレーンを留置した。

(六)  以後、芦田医師が、甲野の主治医としてその診療にあたり、継続的に酸素を投与した。

甲野の腹満、吐き気はなくなり、八月一〇日には飲茶、翌一一日には食事の経口摂取(流動食)の再開が指示された。同月一二日も、経口摂取が行われた。その間の同月四日及び一〇日には、胸部レントゲン検査がされた。

同月一三日には、血液ガス検査が行われたが、甲野は、自分で酸素マスクをはずしたり、ふらふら歩行したりしていたため、芦田医師は、脳の障害を疑い、脳外科医による診察を指示した。八月一五日には、脳外科の寺田医師が甲野を診察し、脳へのガンの転移は認められないと診断した。同日には、白血球の異常な増大が見られたが、同月一六日には、腹腔内に留置したドレーンを抜去できるに至った。同日、芦田医師は、甲野の胸部レントゲン検査をし、肺ガンの状態は、「不変」であると判断した。甲野は、同日、急性呼吸器不全を起こし、ICUにおいて、人工呼吸器を装着するに至り、その後も呼吸不全の継続、悪化が進んだ。同月一九日には、胸部レントゲン検査がなされたが、両肺に直径0.3ミリメートルないし一センチメートルの陰影が散布しており、肺ガン及び肺気腫の所見が認められた。被告医師は、原告に対し、同日、肺ガンの再発が進んでおり、全身への転移がある可能性が強く、同日中にも死亡する可能性がある旨説明した。

甲野は、同月二〇日、心不全、呼吸不全を直接死因として死亡した。

以上の各事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

3  成立に争いのない甲一七ないし二二号証及び乙五号証、「必修外科学」と題する文献の写し部分の成立に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨により成立が認められる乙八号証、弁論の全趣旨により成立が認められる乙九号証、被告本人尋問の結果、鑑定人磨伊正義の鑑定の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の医学的知見が認められる。

(一)(1)  腹膜炎とは、主として細菌の感染による腹膜腔の炎症をいい、病変の進展状況によって、急性・慢性、炎症の進展、拡大の程度によって、汎発性・限局性に分類される。

急性汎発性腹膜炎とは、小腸を包む腹膜腔の大部分に急性炎症の発したものをいい、症状としては、激しい圧痛及び筋性防御(腹腔内に炎症病変があり、その炎症刺激が腹壁腹膜に及ぶと肋間神経、腰神経などを介して罹患部位に相応して腹壁筋肉の緊張が亢進し、その部分を圧迫すると腹筋が急に収縮して抵抗性の硬さを感じること)を伴い、腹膜刺激初期症状としては、通常多少の発熱を伴う。病変が進行すると、便通もガスも止まり腹部が膨満する。また、ショックに陥りやすく、敗血症、諸臓器の機能不全などが起こる可能性がある。検査所見としては、白血球の増加、核の左方移動、血液凝縮、ヘマトクリット値、ヘモグロビンの上昇がみられる。本症は、緊急に開腹手術を行い、患部を摘出しなければならない。

(2) 穿孔性腹膜炎とは、腸などの内腔性臓器の穿孔により、内容が漏出し、そのため腹膜の刺激、感染が起こるものをいうが、その多くは急性汎発性腹膜炎のかたちをとる。その場合のレントゲン検査の所見としては、フリーエアが見られる。

(二)(1)  ロキソニン等の非ステロイド系消炎鎮痛剤(NSAID)は、消化器粘膜に対して攻撃的に作用し、稀に消化器潰瘍を生じさせる可能性がある。ロキソニンにおいては、胃潰瘍、出血性胃潰瘍の副作用の例がある。

(2) インダシン坐薬にも、同様の作用が認められるが、消化器潰瘍にまで至る例は稀である。

(3) 高齢者においては、胃粘膜の抵抗性が弱く、各種薬剤服用による急性変化を起こしやすい。そして、胃潰瘍を起こした場合でも、無症状ないし不定愁訴の場合が多い。

高齢者のNSAID服用による胃潰瘍、十二指腸潰瘍の合併症である出血、穿孔のリスクは高いが、この場合の痛みの訴えは少ない。

(三)  慢性肺気腫の患者においては、低酸素血症、高二酸化炭素血症のため、胃粘膜血流が低下するので、胃潰瘍を併発しやすいし、全身麻酔や手術侵襲に伴う急性呼吸器不全は高い頻度で発生し、主たる死因となっている。

(四)  出血性胃潰瘍についての診断は、胃内視鏡検査によって、容易に可能である。胃内視鏡検査は、適切な前処置と注意深い監視の下に行えば、呼吸障害のある高齢の患者に対して施行しても問題はない。

4  前掲認定事実及び右医学的知見に、鑑定の結果を参酌して検討すると、次のようにいうことができる。

(一)(1) 甲野は、肺ガン手術後、慢性肺気腫に罹患しており、しばしば呼吸困難で入院を繰返していたのであって、昭和六三年六月には、吐き気等の胃部症状があり、六月六日の胃エックス線検査では、慢性胃炎と診断されていた。これに、甲野に対して長期間の抗生物質の投与が行われていたこと、その後の臨床経過において吐き気と体重減少が見られたことを考え併せれば、昭和六三年六月の時点で、甲野には胃潰瘍が生じていたものと認められる。

(2)  この時点で、胃潰瘍の存在を確定的に判断することが困難であるとしても、(1)のような事情がある以上、胃潰瘍の疑いは十分にあったし、被告医師としても、これを認識すべきであったのであるから、被告医師は、甲野の胃の状態について細心の注意を払うべきであった上、七月三〇日には、甲野は、吐血を訴えて通院したのであるから、少なくともこの時点では、出血性胃潰瘍の存在を疑い、緊急内視鏡検査ないし胃エックス線検査を行うべき注意義務があったし、右検査結果が判明するまでは、絶食、輸液、止血剤、潰瘍に対する薬物療法を行うべきであった。

(3) さらに、七月二二日以降、腰痛のため投与された鎮痛剤や、NSAIDが、既に存在していた甲野の慢性胃潰瘍の急性増悪を引き起こし、穿孔を生じさせた。

そして、右穿孔による急性汎発性腹膜炎が生じたため、甲野に対し、緊急開腹手術がなされるに至ったが、慢性の閉塞性肺疾患を有する患者では、手術侵襲に伴う急性呼吸器不全は高い頻度で発生し、主たる死因となっているところ、右手術侵襲と肺機能の悪化、低酸素血症による脳障害、心臓機能の低下等により、甲野は死に至った。

(4) したがって、被告医師は、少なくとも昭和六三年七月末には、甲野について、胃潰瘍の存在を疑い、胃内視鏡検査ないしは胃エックス線検査をしてこれを発見し、胃潰瘍に対する適切な薬物療法を行うべき注意義務を負っていたことになるが、被告医師は、これらの措置を講じることなく、鎮痛剤等の投与を続けたものであって、この点で被告医師に過失が認められる。

(二)  そして、前掲鑑定の結果によれば、七月三〇日の時点あるいは一両日内に緊急内視鏡検査が行われていれば、右胃潰瘍が見つかったはずであり、その時点で適切な薬物療法等がなされていれば、胃穿孔という事態は避けられたこと及び低肺機能状態における本件手術侵襲が甲野の死期を早めたことが認められるから、被告医師の過失と甲野の死亡との間の因果関係が認められる。

(三)  被告らは、甲野の手術後の腹部の経過は順調であったが、肺気腫による慢性呼吸器障害に、再発肺ガンが両肺に転移播種し、呼吸不全が継続、悪化し、死亡に至ったものであると主張し、前掲乙八及び九号証にはこれに沿う記載があるが、前掲乙三、七号証によれば、七月二七日に認められた肺ガンの再発は、八月一九日までは、著明な変化が認められない状態であったと認められるのであって、肺ガンが急に増悪したとの被告らの主張については、これを認めるに足りる証拠がなく、前掲乙八及び九号証によっても、胃穿孔及び急性腹膜炎が甲野の死期に影響を及ぼさなかったとは認められない。

(四)  したがって、被告医師は、不法行為に基づき、被告病院は、被告医師の使用者としての使用者責任に基づき、甲野の死亡による原告の後記損害を賠償すべき義務を負う。

三  請求原因4について

原告の請求する損害のうち、以下に認定する損害は、不法行為による甲野の死亡と相当因果関係のある損害と認められる。

1  甲野に生じた損害

(一)  逸失利益

甲野が、死亡時六七歳の男子であり、その当時、厚生年金二三一万九七五七円及び企業年金九二万三九四〇円の給付を受けていたこと、原告は、甲野の死亡に伴う遺族厚生年金一五五万八三〇〇円の給付を受けていることを被告は明らかに争わないので認めたものとみなされる。また、弁論の全趣旨から、甲野は妻と二人暮らしであったことが認められるが、右事実に諸般の事情を考慮すれば、四割を生活費として控除するのが相当である。

そして、甲野が得ていた年金収入に対し四割の生活費控除をした残額から、甲野の死亡に伴い原告が支給を受けていることになり、かつ、今後も受ける蓋然性の高い遺族年金額を差し引いた額を基礎とし、六七歳男子の平均余命である一四年の期間における逸失利益の現価を、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して計算すると、四〇三万七九九五円になる。

{324万3697円(年収)×(1−0.4)(生活費控除)−155万8300円(遺族年金)}×10.4094(ホフマン係数)

=403万7995円(円未満切捨て)

(二)  慰謝料

本件訴訟にあらわれた一切の事情を勘案すると、本件過誤による甲野の慰謝料としては、一二〇〇万円と認めるのが相当である。

2  原告固有の慰謝料

原告は、配偶者である甲野が死亡したために、精神的苦痛を被ったのであるから、不法行為に基づく損害賠償請求権としての慰謝料請求権を有する。そして、本件全証拠及び前判示の甲野の慰謝料額をも併せて考慮すると、右苦痛を慰謝するには、三〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

原告が、原告訴訟代理人弁護士に委任して本件訴訟を提起し維持していることは本件記録上明らかであるところ、本件事案の性質、事案の経過、認容額等に鑑み、本件過誤と相当因果関係を有する弁護士費用として一九〇万円を認めるのが相当である。

四  請求原因5について

請求原因5のうち、甲野が昭和六三年八月二〇日死亡した事実は当事者間に争いがなく、被告らは、その余の事実を明らかに争わないので認めたものとみなされる。

五  抗弁及び再抗弁について

1  抗弁(一)のうち、原告が昭和六三年八月二〇日甲野の死亡を知った事実については当事者間に争いがない。

2  しかしながら、前掲乙三号証によれば、原告が、平成二年二月一六日付けで作成した公害健康被害補償法異議申立書には、汎発性腹膜炎の術後経過は良好であり、甲野は、肺気腫によって死亡した旨記載されていることが認められる(62丁、63丁)。そうすると、むしろ、原告は、平成二年二月一六日当時、甲野の死因が腹膜炎に結びつき、したがって、被告医師の過失行為と関係があるものとは認識していなかったことになるし、他に原告が証拠保全を申し立てた同年一〇月三〇日以前に被告医師の過失行為の存在を知ったと認めるに足りる証拠はない。

したがって、原告が同年一〇月三〇日より前に、加害者を知ったことは、認めるに足りない。

3  一方、原告が平成五年一〇月二七日に本訴を提起したことは、本件記録上明らかである。

4  したがって、被告らの消滅時効の抗弁は理由がない。

六  よって、原告の被告ら各自に対する不法行為による損害賠償請求権に基づく本訴請求は、二〇九三万七九九五円及びこれに対する不法行為後である平成五年一一月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条但書を、仮執行の宣言について同法二五九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官見満正治 裁判官松井英隆 裁判官森岡礼子)

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